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I Still Love You ーまだ愛してるー
I Still Love You ーまだ愛してるー
Author: 美希みなみ

第一話

last update Last Updated: 2025-03-07 08:29:05

プロローグ

ねえ? どうして何も言わずにいなくなったの?

そんなことを私は思いながら、目の前に現れたその人を、亡霊でも見るような思いで虚ろに見つめた。

あの暑くて、初めての気持ちを持て余していた夏。

あのときの蝉の鳴き声は今でも、はっきりと覚えているのに……。

どうして? どうして? いつまでも私はあなたに振り回されると、生まれたときから決まっていたの?

そんな運命は……いらない。

そんな出会いは……いらなかった。

愛なんて知らずに生きていたかった。

すべてが変わったあの日。

もう戻れない……笑い合った幸せな日々には。

そんなことを思いながら私は、急に真っ白になった視界を最後に、意識を手放した。

※※※※※

(蝉の鳴き声がうるさい)

「蝉だって一生懸命なんだから、そんなことを言ったらいけないでしょ」

(お母さんなら、そんなことを言いそうだな……)

そう思いながら、今日も朝からラブラブだった両親を思い出して、日葵は小さくため息をついた。

もうすぐ夏休みという7月中旬は、嫌になるくらい暑く、どこかの庭に咲いている向日葵さえ下を向いていた。

(いつも太陽のほうを向いてなんかいないよ……向日葵だって。水とか与えてもらえなきゃ無理でしょ……)

そんなことをブツブツ言いながら、制服のシャツの胸元をパタパタとさせ、真っ青な空を仰ぎ見た。


「ひま! 何ブツブツ言ってるんだよ! 早く来い」

相変わらずの上から目線の言葉に、日葵は苛立ちを隠せず歩みを止めた。

不満げな日葵を見て、少し先を歩く壮一は小さくため息をついた。

「お前がいると、俺が遅くなるだろ?」

うんざりするように言われ、日葵はその場に立ち止まった。


長谷川日葵、高1。

都内の高校に通う、どこにでもいる女子高生だ。

そして、同じマンションに住む2つ年上の幼馴染・清水壮一を睨みつけた。

(昔は優しかったのに……)

日葵は、幼稚園・小学校のころの優しかった壮一を思い出す。

いつも手を引いて歩いてくれていたころを。

日葵にとっては、兄であり、友達であり、いつも自分を守ってくれる存在だった。

両親が親友同士という家庭で育ったため、生まれたときから当たり前のように一緒で、小・中・高・大学まで一貫校の二人は、いつも一緒だった。

しかし、高等部に上がったころから、壮一はまるで別人のようになった。

壮一の周りには、いつの間にかきれいな女の先輩がいつもいて、日葵には声すらかけることがなくなった。

登校するときだけは、お互いの両親の命令で一緒に行っていたが、それすら日葵には、壮一が嫌そうに見えた。


「そうちゃん、もう明日から一緒に行ってくれなくていい」

冷たく真顔で言った日葵だったが、それよりもさらに冷たい表情を、壮一は日葵に向ける。

「はあ? そんなことしたら、俺が俺らの両親に怒られるだろ?」

父親譲りのきれいな黒髪の下、

"お前はバカなのか?"

そう言いたげな冷たい視線が、さらに壮一を美しく見せていた。

(絶対、女装したら私よりそうちゃんのほうがきれいじゃん)

そんな苛立ちも含め、日葵はさらに言葉を強めた。

「朝、一緒に家だけ出ればいいでしょ? そうしたらバレないじゃん! そうちゃんってバカなの?」

「そういうこと言ってるから、お前はいつまでもガキなんだよ。そんなことしたら、お前の望む普通の生活じゃなくなるぞ。車で学校の送り迎えになる」

壮一の言葉に、日葵はウッと言葉を失う。

実際、過保護な父のことだ。本当にそうなりかねない。

クルリと前を向いた壮一が動かないのを見て、日葵も仕方なく、大きなため息とともに足を踏み出した。

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    昨夜の崎本のことも、今日からの壮一との出張も、すべてが気が重く日葵は足取り重く駅へと向かっていた。ぼんやりと歩いていると、車のクラクションが後ろから聞こえた。その音に振り向くと、横に静かに壮一の車が止まる。「長谷川」ハンドルに片手を掛け、窓から呼ぶ壮一に日葵は何とも言えず複雑な心境が覆う。「おはようございます。チーフ」なんとか仕事用の笑顔を張り付けると、壮一の顔をみることなく頭を下げた。そんな日葵の様子に、小さく壮一が息を吐いたことなど日葵は知らない。「おはよう。今日は悪いな。乗ってくれ」「大丈夫です」無意識に零れ落ちた自分の冷たく低い言葉に、日葵は後悔しても遅い。チラリと壮一を伺えば、表情を変えることなく日葵をみていた。「そんな訳にいかないだろ? 急に柚希の代わりに無理を言って行ってもらうんだから」その言葉に日葵の心の中はザワザワと音を立てる。本当は柚希と行きたかったのではないか? 自分とは行きたくないのではないか。そんな子供のようなことを思ってしまった自分が情けなくなる。グッと唇を噛んだ日葵に、壮一は静かに声を発した。「じゃあ乗ってくれ。頼む」私情を入れているのは自分だとは日葵もわかっていた。でも駅までなら電車でも変わらない。その気持ちも譲れなかった。このざわつく気持ちで壮一と同じ空間にいたくなかった。「でも、電車でもさほど変わりませんし」その言葉に、壮一は視線を外すと大きなため息を吐いて呟いた。「やっぱりな……」その言葉に、日葵は運転席の壮一を見た。「急遽、簡易的だがブースを出すことになって、昨日も遅くまでノベルティとかの確認があって、俺と柚希は車で行く予定だったんだよ」その言葉に日葵は啞然とした。「そうだったんですか……申し訳ありません。お手伝いもせず帰って」崎本と食事をしていたころ、柚希はずっと仕事をしていた。そして体調を崩したと知り、日葵は罪悪感が広がった。そんな思いで俯いた日葵に、壮一が運転席から降りるのがわかった。「お前の仕事じゃないだろ。気にするな」そう言いながら、壮一は日葵のもとへと来ると、日葵から荷物を取り上げ、さっと後部座席に乗せた。そこまでされてはもう何も言うことなどできなかった。日葵は諦めたように、壮一の車に乗り込んだ。しばらく無言の車内に、最近聞きなれた音楽が響く。

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第二十四話

    なんとなく落ち着かない気持ちで食事を終え、送るといってくれた崎本の車の中。信号が黄色に変わり、ゆっくりと停車すると静かな車内で崎本の声が響いた。「また今度……」しかし崎本の言葉は、日葵のカバンの中から鳴った着信音に遮られた。ディスプレイの表示は〝清水チーフ"。そっと崎本を見ると、小さく息を吐いて「出て」と言葉を発した。仕事以外の要件で電話があるはずがないと、日葵はゆっくりと通話ボタンを押す。『お疲れ様。遅い時間に悪い』少し疲れた壮一の言葉に、日葵も「お疲れ様です」と返した。『今いい?』いいかと聞かれれば、かなり微妙な空間だったが、そんなことも言えず日葵は「はい」と返事をした。『明日からの名古屋なんだが』「はい、柚希ちゃんが行く予定の?」冷静に言葉を発することが出来ただろうか?そんなことを思いながら日葵は壮一の言葉の続きを待った。『行ってくれないか?』「え?私が名古屋の出張に泊りで?」その言葉に「え?」と崎本が言葉を発して、日葵はチラリと崎本を見た。『……誰かと一緒?』静かに響いた壮一の声に、日葵は答えることが出来ず、話を逸らした。「柚希ちゃんはどうしたんですか?」『ああ、さっき熱を出したと連絡があった。柚希の代わりになるのは……申し訳ないが長谷川しか無理だから』その言葉に日葵はギュッと唇をかみしめた。仕事なのはもちろんわかる。断る権利も、権限ももちろんない。体調を崩したのは柚希で、残念な思いをしているのも柚希だ。「わかりました」静かに答えると、「じゃあ詳細はメールする」それだけをいうと少しの無言のあと、無機質なトーン音が聞こえた。日葵はその場に崎本がいることも忘れ、憂鬱な気持ちでスマホを見つめていた。いつのまにか、いつも送ってもらう場所へと車は停車していた。「すみません」かなり自分の世界に入り込んでいた日葵は、ハッとして崎本を見た。ハンドルをギュッと握りしめて、俯いていて崎本の表情は解り知れない。「ありがとうございました」なぜか重たい空気に、日葵は慌ててシートベルトを外すとドアノブに手をかける。それと同時に後ろから腕を引き寄せられた。ハッとして振り返ると、日葵は崎本の腕の中だった。「え? 部長?」その状況が理解できず日葵は戸惑いの声を上げた。「行くな……って付き合ってても言えないけど、行って

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第二十三話

    それからも、日葵の気持ちなどお構いなしに仕事は降りかかる。あの謝罪の意味すらわからないまま、時だけは過ぎていった。時間を見ればもう15時を回っていて、日葵は昼食をとっていないことを思い出して、小さく息をつくと席を立った。「長谷川さん」そんな時、日葵のデスクにやってきた柚希に笑顔を向けた。「どうかした?」「少し教えていただきたいんですけど、今いいですか?」柚希は自分のノートPCを日葵のデスクに置くと、画面を見つめる。「もちろんよ。どれ?」「この出張のホテル申請なんですけど……」その言葉に日葵も驚いてその画面を見た。「出張?いつ?」「それが、チーフの急な指示で明日名古屋なんです」少し不安げな柚希の言葉に、日葵は内容を確認する。「え?あの名古屋であるゲームフェスティバルよね?」「はい」明日、明後日と大きなゲームのイベントが名古屋であり、それの視察と、挨拶周りのための出張だ。役員一人と、チーフの壮一、営業部で大手メーカーとも付き合いが長い、課長である澤部、そしてアシスタントで澤部と同じ部署の女性社員――のはずだ。どうして柚希?という疑問が日葵の中に沸き上がる。「確か、営業部の人が行くはずじゃなかった?」今の現状から、壮一は責任者として行かなければいけなかったが、この部署からは壮一以外行かない予定になっていた。「はい、急に専務がその女性社員では、もしも詳しい話を振られたときにチーフだけでは大変だろうということになったみたいです」「そう……」「他の皆さんは忙しいですし、私なんですかね?」その言葉に日葵はハッとして笑顔を向ける。壮一と柚希が泊まりで出張に行くことが、どうしてこんなに気になるのか……。このあいだ、頼りにしてると言ったにもかかわらず、この重要な仕事を柚希に頼んだことがショックなのだろうか?自問自答しても答えは出ず、日葵は柚希に申請方法を説明した。「柚希ちゃん、がんばってね」笑顔で言ったつもりだったが、自分がどういう顔をしているかわからなかった。しかし、そんな日葵の思いなど、まったく気づいていないようで、柚希は少しだけ言葉を選ぶような表情をした。「仕事なので、こんなことを言ってはいけないと思うんですけど……」少し話すのを躊躇した柚希に、日葵は首を傾げた。「ここのところ、チーフすごく疲れてますよね。そばでお世話できてう

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第二十二話

    おはようございます」明るく元気な声が聞こえて、日葵はハッとして振り返った。「柚希ちゃん、おはよう」いつもの出社時間が近づいていたことに気づき、まだ落ち着かない気持ちをなんとか整えると、目の前の仕事に取りかかった。そんなとき、周りの雰囲気がピリッと引き締まったような気がして、日葵は顔を上げた。「手が空き次第、ミーティングルームに集まってくれ」その声に視線を向けると、部屋から出てきた壮一が颯爽と歩いてきた。さっきとは別人のように、いつも通り完璧な壮一がそこにいた。シャワーも浴びたのだろう。スーツも違うものに着替えられていて、常に泊まる準備ができていることに日葵は気づく。途中入社で、社長や会社の期待を一身に背負い、失敗が許されないこの状況でも、弱音ひとつ吐かず、常に冷静に対処してきた壮一。その言葉に、一斉に返事が返り、スタッフたちはミーティングルームへと向かっていく。日葵も、目の前の作業に区切りをつけてそのあとに続いた。ミーティングルームに入ると、大きなモニターには広大な緑が広がる世界。高台からその景色を見下ろす、ひとりの男の子と女の子。そして、真っ白な鳥が空へと羽ばたいていた。「The beginning new world」――新しい始まりの世界。企画段階で知ってはいたが、こうして映像として目の前に現れたのは初めてで、日葵はその世界観に釘付けになる。「まだ未完成だが、ここまでで意見を聞きたい」壮一の言葉に、技術スタッフをはじめ、何十人ものメンバーが目を輝かせて頷いた。一人の少年が、襲いかかる敵に立ち向かい、仲間を増やしながら戦っていく。構造自体は、どこか既視感のあるRPGだが、今回は会社の威信をかけ、美しい映像・音楽・クオリティに徹底的にこだわっている。今までに見たことのない臨場感、命を宿したようなキャラクター。その完成度は、ゲームの範疇を超え、まるで一本の映画を観ているようだった。短い映像だったが、気づけば、思わずため息が漏れていた。すっかりその世界に引き込まれていた日葵は、周囲から意見が出始めたタイミングでようやく我に返る。慌てて記録をとろうと、パソコンのキーに指を走らせた。数時間にわたるディスカッションもようやく終わり、各自が自席へと戻っていくのを見送りながら、日葵は上層部に提出する資料の構成を頭の中でまとめ

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第二十一話

    週明けの、いつもより早い月曜日。久々に穏やかな気持ちでいられるのは、昨日の時間があったからかもしれない。日葵はそう思いながら、電車の外を見ていた。まだ誰もいないフロアに入ると、備品のチェックや清掃の確認をする。少しでもみんなの仕事を減らすべく、日葵は自分のパソコンを立ち上げた。プレスリリースまで2カ月を切り、大手ゲーム機メーカーからも発売されるため、接待や会議の予定も多く組み込まれるようになってきた。そうなると、やはり壮一が出席することも増える。(こんなに会議や接待が入って……いつ眠れるのよ。……関係ないけど)壮一のことを考えたくない気持ちと、どうしても気になってしまう自分に、日葵はため息をこぼす。昨日、崎本との楽しい時間を過ごし、壮一のことを考えないようにしようと心に決めても、嫌でも考えなければいけないこの状況はどうしようもない。制作現場でも必要な人間である壮一のスケジュールは、重要を示す赤色の文字で溢れていた。(いつ、自分の仕事をしているんだろう……)そう思い、無意識に壮一の部屋の方向へ視線を向けると、明かりが漏れているのがわかった。消し忘れたのかと思い、そこへ足を向けた日葵は、ドアを開けて息を飲んだ。ブラインドから差し込む光にも気付かず、机に突っ伏して眠る壮一の姿が目に入る。いつものキッチリとしたスーツ姿ではなく、上着はデスクの前にあるソファに無造作にかけられていて、ネクタイも投げ出されていた。いつでも完璧で、乱れた姿など見たことのなかった日葵は、その光景に、なぜか胸がギュッと締め付けられる。当たり前だが、壮一だって人間だ。この数カ月、壮一が来てからのチームの一体感は格段に上がり、壮一のすごさを日葵自身も実感していた。上との連携もスムーズになり、スタッフも増え、日葵の負担も確実に減った。そう。当たり前だけど、壮一の負担は確実に増えている。そんなことすら気づいていなかった。それほど自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、過去のことで頭がいっぱいだった自分は、なんて子供なのだろう。壮一は、自分と違って努力なしに、才能だけで簡単に何でもできる。どうせ自分だけがなにもできない、普通の人間。――そんなふうに思っていた自分が恥ずかしかった。音を立てないようにそっと近づいて、散らかったデスクと疲れた顔の壮一の寝顔をじっと見つめ

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第二十話

    「長谷川、ここで待ってて。飲み物買ってくる」少し先にあるコーヒースタンドを指さす崎本に、「ありがとうございます」と日葵は素直に従った。ここ最近、仕事でもミスをしたり、多忙を極めていた日葵は、ベンチに座るとぼんやりと海を眺めていた。昼過ぎの天気のいい海沿いは、キラキラと光が反射してとても綺麗だった。「はい、コーヒーでよかった?」手に二つのカップを持った崎本に、日葵は小さく頷くとそれを受け取った。「部長、ありがとうございます」そんな日葵の言葉に、崎本は柔らかい微笑みを浮かべると、日葵の横へと腰を下ろす。「何を考えてた?」「え?」いきなり言われた質問の意味がわからず、日葵は隣の崎本を見た。「とくには何も……。久々だなって。こんなゆっくりとした時間って」日葵のその答えに、崎本はホッとしたような表情を浮かべた。「向こうから戻ってくる時、あまりにも長谷川の横顔が遠くを見てる気がして、なぜか知らない人みたいに見えた」そこまで言った崎本は、めずらしく苦笑すると「何を言ってんだよ俺」と海に視線を向けた。「部長……」最近いろいろありすぎて、現実逃避していたのかもしれない。そんな心情が出ていたのだろうか?そんな真剣な崎本に、日葵の中にだんだんと疑問が湧き上がる。こんな中途半端な気持ちを持っている私が、部長のそばにいていいのだろうか?真剣に自分と向き合ってくれていることが、今日一緒にいるだけでも痛いほど日葵には伝わった。「あの、部長」「ん?」優しく微笑まれ、日葵はどう言葉にしていいか思い悩む。「今日は誘っていただいてありがとうございました。それで。あの」うまく言葉が見つからず、言葉を止めた日葵が何を言いたいのか、崎本は悟ったのだろう。「清水君? 長谷川をこんな風にしたの?」その言葉に、日葵は驚いて顔を上げた。「図星か」日葵の表情が、YESと答えてしまっていたのかもしれない。何も言えずにいた日葵に、崎本は髪をかき上げると小さく息を吐いたのがわかった。「聞いてもいい?知らないと俺はどうしようもできないから。それに、俺はずっと長谷川に好意を持っていることを伝えてる。聞く権利はあるよな?」珍しく強い口調の崎本に真剣な瞳を向けられ、日葵は小さく頷いた。日葵はキュッと唇を噛んだ後、ゆっくりと言葉を発した。「清水チーフとは、幼馴染ってことは言いま

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